追　　想

ベトナム戦争の取村中に得た腎臓の病いのため、西宮市の実家で延々と療養中のことてすから、かれこれ30年ちかくまえのことになります。

奥歯のまわりをはじめ、あちこちの歯茎が腫れ上がって治まらなくなりました。歯医者さんを受診すると、歯石除去をうけたあと、「よくブラッシングをするように」と教わるのですが、一向に好転しません。そこで、知り合いにすすめられるまま三番目にかかった先生から、病根になっている歯を思いきって技くのが根本治療になる、と聞かされてあわてました。悪くなっているのは歯茎のみ、歯そのものには故障なし、と勝手におもいこんでいたからです。

歯の方は救えるはず。すべては、その点を専門の先生に確かめてからのことだ。そう思い立って、東京医科歯科大学　ー 医科「歯科」と名乗っているのだからわが国切っての専門機関であろうと想像したわけですー　に電話で問い合わせたところ、石川淳教授がこの問題の権威であると教わり、しかもさいわいなことに教授ご自身が、見もしらぬ一介の患者の応答に出て下さったのです。

わたしの説明を聞き終えられた先生は、「そんな次第ですので、なにはともあれ一度診ていただけないでしようか？」という問いにたいし、即座にお答えになりました。
上京する必要はまったくありません。あなたの住んでいる近くに、片山先生という日本で一番えらい先生がおられるからです。 この病気の神様です！ とおっしゃるではありませんか。
 

もう迷うことはありません。さっそく岡町の診療所に参上しました。はじめてお目にかかる片山先生はすらりとした長身の、瀟洒な紳士でした。いきさつをとことん寡黙に徹してお聞きになると、「受診をつづけたいなら、あらためて予約をとるように」と一言だけ指示なさって診察を締めくくられました。今にしておもうと、ご高名を慕って殺到する患者を受け入れつづけることはほとんど物
理的に不可能になっておられた先生が、やむをえず心を鬼にしてぶっきらぼうに応対するという「面接」を設定なさっていたのではないでしょうか。

それでもしゃにむに頼ってくるものには、無理ななかをなんとか時間をくりあわせて受け入れるようご苦労くださっていたものらしい、と想像されるのです。
 

それかあらぬか、二度目に参上したときの先生は、打ってかわってにこやかにお迎えくださいました。診察台の診察がおわったあと、招じ入れてくださった小部屋、患者のために設けられたこの「視聴覚教室」に待っていたのは、ほんとうの驚きでした。歯垢にうごめく無数の細菌の顕微鏡像をテレビ・モニターに写し出し、歯茎と骨がやられていくこの病気の仕組みを、手間ひま借しまずま
ざまざと解き明かして下さったのです。それは、生まれてこのかた初めて接する「真の健康教育」ともいうべき経験でした。
 

そして、歯科医としての先生ご自身の「うけもち」はかくかくしかじかである、患者であるあなた自身の「うけもち」はこれこれのことを実行することにある。そのさい、あなたの「うけもち」を果たすことがどんなに決定的か、その「気づき」を大切にしてほしい・・・諄々とそう説き聞かせて下さる先生の口から出てくる「うけもち」、「気づき」といったことばの、なんと新鮮だったことでしょう。
 

小中学校いらい絶えて聞いたことのない「うけもち」云々のことばが、すっくと立ち上がってこちらの胸に踊りこんでくるのです。小学生にもおばあちゃんにも分かる普段着のことばに、これだけ深い意味を吹き込んでお使いになる日本人がおられるとは！

いまじぶんは真の哲人、真のお師匠様に出会わせて頂いているのだ、そうおもいました。
 

受診してかえると、わたしの「うけもち」が実行されているかどうか、もふくめて状況を一々電話でたしかめてきて下さる時期がしばらくつづきました。それでわかったのです。 ーー病気は患者自身のことであるのに、先生は”患者を追いこし患者以上に”熱情をかたかけて改善をめざして下さっていることが。

そこに、精根をかたむけて患者を指導してくださる先生のお仕事のエネルギーの根源があることが。当時をおもいだすごとにいまも胸があつくなってまいります。

2006 創刊号より

片山先生とはじめて出会ったのは30年ほどまえにプライス博士の『食生活と身体の退化』を翻訳しないかと鈴木博信さんに誘われた頃であった。一人で全部訳すことは不可能であったので、京都大学教育学部大学院に学んでいた岩見和彦さんと荒木功さんの二人に頼んで、三人が中心となって翻訳作業にとりかかった。最初は１回会うたびに１〜２ページしか訳すことができなかった。 しかし、10年ほどかかってやっと完成することができたが、翻訳を通じて岩見さんや荒木さんをはじめ色々な人に出会い、学ぶことができたことが最大の喜びである。

プライス博士の著書が縁で、片山先生から歯科関係の論文を訳したり、翻訳の原稿を見たり、英文の手紙を書くことを頼まれた。ときどき片山先生のお話を聞く機会があり、そのつど先生から大きな刺激を受けてきた。
 

台湾で大きな地震が起こったとき、私の親威が台湾にいる事を知っていたことから、多額のお見舞金をいただいた。幸い私の妹の家族や親戚は大丈夫だったので、私の勤める京都精華大学に早ぶ台湾からの留学生たちが経済的に影響を受けていたので、先生からいただいた見舞金を二人の留学生に使ってもらうことにした。阪神淡路大震災のときは日本人学生は学費の補助等が考えられたが、台湾の地震のときは適用されなかったので、台湾の留学生からはとても感謝された事を覚えている。
 

この度、恒志会設立にあたって、副理事に選んでいただいたことはとても光栄なことだと思っている。また、プライス博士の『デンタル・インフェクションズ』を翻訳することになったが、その作業のまとめ役を片山先生に頼まれた。大変な仕事だと思うが、幸い沖先生、緒方先生、菊池先生が多くの協力者を募集してくれたので、色々な人に出会えることができるので、ある意味ではとても楽しみにしている。

2006 創刊号より

私が片山先生のお名前を初めて聞いたのは土居先生からだと記憶しています。土居先生の同級生である山梨の山内先生（東京歯科大学の演劇部の先輩です｡）と御一緒していたときに、土居先生と偶然お会いし、土居先生が盛んに片山先生を話題にされていました。

私はそのとき東京歯科大学矯正歯科大学院生として矯正の勉強をしていましたのであまり関心を持ちませんでした。その後私は矯正ではなしに、一般歯科で開業致しました。そのため歯周病にも関心があり大磯で片山セミナーがあるという案内をみて、土居先生のお話を思い出して申し込みました。

でも最初はいい加減な態度で受講していたことを思い出します。その内容が分かるにつれて私の態度は真摯なものに変わっていったように思います。それ以降は皆さんと同じように私の生き方は変わってしまいました。最も私の心に響いたことは歯科医療こそが日本を救えるという言葉でした。

そして高齢化社会になり老人が多くなり、若者の負担が増えて日本が滅びてゆくというシナリオに対し、いや違う、老人を病気にしなければよいのだ、健康な老人が多くなればむしろ老人は宝物だ、社会の知恵袋だ、そのためにはなんでも良く噛めるようにしなければならない。それは歯科医師にしか出来ない仕事だ。と我々の行く道を指差してくださいました。

私に歯科医師としての誇りや夢や生きがいを与えてくださいました。これからも片山先生が指し示してくださったことを後輩の若い先生方に伝えてゆくことが私の使命だと思っています。

2006 創刊号より

一生のうちには自分の生き方を根底から変える出逢いがある。
 

昭和39年、高校３年生大学受験も迫った12月の終わり叔母の強い勧めで考えてもいなかった歯科大学を受験してみることになった。決して自ら選んだ職業でもなく大学でもなかったが思いがけず合格し入学した。医療者になるという自覚も、職業としてのプライドも持てずに、周りは殆ど歯科医の子弟という環境の中、なじめず学生会、学生運動など、学問とは別の世界で悶々と生きていた。卒業後、たいした目標もなく先輩の勧めで補綴の医局に残った。
 

その後、卒業して20年ほど経って歯科医としての決定的な出逢いがあった。片山恒夫先生との出逢いであった。
今になって振り返ってみれば、決定的な出逢いまでには伏線があった。昭和50年ごろ、豊中にすごい歯科医がいるという噂を開いたことがあった。一地方都市で東京まで評判が届くような歯科医がいることが妙に気になった。そのときは歯科医師の名前は一切聞いていなかった。昭和57年ごろ、後輩の医局員が片山セミナーに参加した後だった。多くの人がそうであるようにセミナーの感動を熱っぽく話してくれたことがあった。この時初めて豊中の片山という名前を聞いたが無関心であった。
 

自分ではすぐには開業ということを考えていなかったので開業医に関心がなかったのではないかと思う。今にして思えば臨床歯科医、歯科医療を全く理解していない傲慢で恥ずかしい時代の思い出である。
 

それから約10年後、平成2年、すでに大学を辞して開業し、OB会の会長の任にあったときであった。伝統的に続いていた講演会を21世紀に向けて今までとは何か違う企画をと考えた。テーマを「治療中心の歯科医療から予防中心の歯科医療へ」と銘打って５、６回のシリーズを企画した。
 

今考えれば思考は甘かったが、世間から非難ばかり受けている歯科界の改善、歯科医師の意識改革を目指して行こうと考えた。ちょうど大学の建て替えがあって大講堂が出来たときでもあった。大講堂のコケラ落としも兼ねて、シリーズの先陣の講師として誰がふさわしいかということで何人かに問いてみた。予防には片山恒夫先生がもっともふさわしいという意見が大半であった。
 

片山恒夫先生と日野原重明先生に先陣を切ってもらうことに会議で決定した。 しかし誰が交渉するかについて問題があった。うわさではかなり頑固で、すんなり承諾してもらえないのではないかということであった。
 

そこで会長と副会長が岡町に出向くことになった。約束の時間よりも早く着いた。確認の電話を入れた。平井さんから今からすぐに来るようにとの言葉であった。応接間で少し待った後、片山先生が出てこられた。この時が初めて片山先生にお目に掛かった瞬間である。

初めて遭った片山先生の第一声は「これからの会話を録音させていただきます。録音を後から間いて後日返事を致します」という言葉であった。噂にたがわぬ人だなと思った。始めは無表情で此方の言葉を黙って聞かれていた。事前に出しておいた手紙にも赤線でアンダーラインがしてあり、机の上におかれてあった。話が進んでいくうちにだんだん表情も柔らかくなり実際には予定の時間を大幅にオーバーしてお邪魔した。ほとんどは片山先生の医療哲学のお話であった。眼光は鋭く、毅然とした態度、言葉使い、ご高齢にもかかわらず、すごく深い考え、多岐にわたる知識がある人と感じた。自分が持っていた開業医のイメージとは随分かけ離れた人だというのが率直な印象だった。
 

講演会は大成功。大ホールは一杯となり嘗てないほどの受講者であふれた。北は北海道から南は沖縄までの参加者があった。学生時代優秀で医局に残ってもらいたかった女性が居た。会場で突然声を掛けられびっくりした。話しによると沖縄の自衛隊で医官として働いているという。片山先生の話しがどうしても聞きたくて休暇を取って沖縄から来たということであった。片山先生は凄い人なのかなと思ったが、本当の凄さはこの時点では理解していなかった。
 

本当の凄さを知ることになる出逢いは片山セミナーに参加したした後のことであった・・・。

2006 創刊号より

1981年９月に大磯での片出歯研セミナーが始まった。当持私は銀座でご開業の山本為之先生の総義歯実習セミナーをお手伝いしていたこともあって、初秋に開かれる片山歯研４日間セミナーのことや片山先生のことについてどのように思われるかを山本先生に尋ねてみた。

山本先生は即座に、片山先生は臨床に非常に真面目に取り組んでおられる先生で、若い先生方には貴重で良い話がキット聴けると思いますよ！と受講することを薦めてくださった。

それまでの私は片山先生とは直接お話をしたことはなく'79年 ICD 日本部会の冬季学会でのイニシャルプレーションの話と、'81年６月の東京歯科大学卒研で加齢の話を聴いた程度であり、歯界展望や日本歯科評論でのいくつかの論文を読んではいたが、とても読みにくい文章で、何度読み返しても私には理解し難く「難しい言い回しをされる先生だなどという印象を持っていた。そしてイニシャルプレーションという言葉にしても、成書やゴールドマン先生の意味合いとはまったく違うと思えるほどのお話をされていて、当時の私には理解しきれなかった。

しかし、開業して４年程経ていた私は、それまでのモダン・デンティストリィと称しての西洋歯科医学中心の臨床では患者さんとは深いところで乖離しているような何か違和感と行き詰まりを感じはじめていた。また、医療の本質は別な方向にあるのではないのか？ との想いをも感じていたため、片山先生のまとまったお話を聴く機会があればぜひとも受講したかったので、そのセミナーはまたとないチャンスであった。

そして、セミナーを受けることになるわけだが、たまたまセミナー初日に親戚の告別式が藤沢の辻堂で正午から行われたが、午後１持からの大磯でのセミナーに間に合わせるために途中で抜け出して、大急ぎでアカデミーハウスでのセミナーに参加したのを今でも覚えている。タクシーでのアカデミーハウス到着12時55分、何人かの人が受付けをしようと並んでいた後について受付をしたが、そのときの受け付けは片山先生ご自身がなさっており、鋭い眼差しで受講生の顔を一人一人確認しながら座席表をわたしてくださった。

そのとき12時58分で、あと２分で受講できない瀬戸際であった。きっと、片山先生の印象はそうは良くなかったに違いない。あの眼光でジロ〜っと見られたときは、多少の驚きを感じずにはいられなかった。一度体験したことがあるヒトならば、同情してくれるに違いない。
 

しかし、セミナーを通してのお話に私はすっかりマイッテしまった。感銘したとかの言葉では言い表せられない程であった。すぐさま、私は自分の所属するスタディーグループの先生方にも是非とも聴いて頂かねばと思い、片山先生にお願いして第二回目のセミナーを企画して頂いた。もしかしたら、片山先生にはいい迷感だったのかもしれないが、その後15年にわたってセミナーをお続けくださったことであった。

2006 創刊号より

私が片山先生にお目に掛かったのは私が15歳の時でした。母親が他界してのち、１年とちょっと家庭の事情で先生のお宅にご厄介になったのでした。当時中学を出てすぐ他県へ就職する恋とは決して稀ではなかったのですが、大阪までと言うのはあまり間きませんでした。

又、私方の事情と言うのは、母親が３年間の入院の後他界し、長女の私は姉と弟の２入を自分で育てて行くつもりで悲壮な決心をしておりましたが、父の再婚によって事情が変わり、私は就職組の人のように故郷を離れることになりました。

先生のお宅へ上がったのは奥様の遠縁に当たること、お世話をしようという身近な人が居たためです。大阪へ出てからは定時制高校、歯科衛生土学院は京都、その学院でいろんな人にいろんな点で認められて、例えば、絹針の巻き方、ジンパックの手順、印象剤の練り方等々、その事が自信と自立に大きく役立ったと思っております。

その後、実家が土石流災害に遭い全く完全に流失してしまったこと、その家の復旧、義母と姉弟の間の問題について等々、本当に墨の濃淡に包まれているような日々を過ごしました。
 

土曜も、日曜も無しの片山家での暮らし、大叔父、祖父のような先生の助手の一員としての毎日が濃淡の墨画の中に過ぎて41年、一昨年は父親が肝疾患で亡くなりました。

現在、きのうも今日も先生のお世話で明け暮れております。これもこうして記録を認めるのもお世話の一端だと思いますが、平井さんと２人で３時間毎の寝返りのお手伝い、下のお世話、便の量と質の記録、便の記録については、どこを押せば促進か、どの程度で痛くもないか、払拭だけでは許されない、どの程度の温度で洗浄するか、それが今の問題です。

とにかく、当って動かせば何処でも触れば痛いし、それを抱き上げ位置を変え、そのままで２時間以上は又痛んでは位置を変え、その為に痛む身体に触らなければならない難しいお世話です。

皆、誰もが経験しなければならない生きていく道の里程とは思いますが、今は誰にお話しても、良い教えを下さる方は殆ど一人もおられません。だから自分の道だと考えて、努力を続けております。

2006 創刊号より

昭和27年（1952）3月、当時、まだ豊中市岡町に在ったモデル豊中保健所に併設されている大阪府歯科衛生士養成所の門を初めて潜りました。歯科衛生士養成所受験のためでした。
 

当時、玄関にはスリッパではなく、まだわら草履でした。パタパタという音はしませんが、藁くずは散らばっていました。廊下、階段はまだ板敷きでギシギシと音をたてる所もありました。
 

階段を登ると、紅いセーターを着た男性が電気コードのついた箒のような長い棒を操りながら廊下を往復しているのが見受けられました。友達に誘われるままやって来た高校卒業したての全く、何も知らない娘が二人で顔を見合わせていました。それまで紅い色のセーターを着た男性など見たこともありませんでした。
 

後で知ったことですが、そのワイン色のセーターの男性が、当時、豊中保健所の歯科衛生係の係長で大阪府歯科衛生士養成所で歯科衛生士の養成を兼務をされていた片山恒夫先生で、「長いコードのついた棒」は、片山先生の私物で、保健所歯科室の前の廊下を掃除されていたアメリカ・フーヴァ社の電気掃除機でした。電気掃除機なんて初めて眼にしたものでした。とにかく初めてだらけでの
ことばかりでした。
 

歯科の歯の字も全く知らない、未熟な子供であった者が、歯の磨き方だとか歯石のこととか歯の治療の方法・・・とかの試験問題が出て、全くどぎまぎの連続でした。運よくというか、高校卒業したてに混じって歯科医の奥さんたちや元技工士の女性ら全部で10名の４期生としての入学式でした。
 

３期生の先輩らがまだ居られて、先輩らと一緒に小野寅之助先生の病理学の授業を受けたのが最初でした。全くのちんぷんかんぷんでした。
 

３期生の卒業式は３月ではなく８月でした。養成期間が１年では不足・・・という片山先生の自論からで、私たち４期生も同様でした。入学して２ヵ月目に片山先生のご長男が頬部リンパ腺癌で亡くなられ、その悲しみを忘れるためでもあったのか、授業に掃除にと大変厳しいものでした。特に歯科衛生士は口腔のお掃除を担当する者だから・・・とそれはそれは厳しく指導されました。部屋磨きは歯科室だけではなく、保健所の部屋をあちこちと移動させられて、そのたびにいろんな部屋がピカピカになりました。

「４期生集まれ！・・・」の掛け声の時には、恐くて生徒たちは前列を譲り合う光景が始終みられました。先輩だちから「片山先生はとても厳しい先生だけど、反面とても優しい先生ですよ・・・」と慰められることも多々ありました。先輩だちと一緒に旅行したり、我々だけの卒業旅行もありました。週１回の書道のお稽古。同じ日にダンスのレッスンがあり「苦と楽」がセットされており、苦手な書道とダンスの日がとても待ち遠しく思いました。

実習では、ブラッシング後の口腔内細菌数の消長の培養検査のお手伝い。シャーレやピペットの洗滌・滅菌などあり、また妊婦さんを相手に週２回の指導担当日には、当時まだ珍しかった「赤井」の大型テープレコーダーで指導しているところをいつの間にか録音されていて、批判され、大汗・冷や汗の悪戦苦闘の毎日でした。

片山先生が所属されていたロ腔衛生学会が近づくと、旧保健所のお隣に在った豊中郵便局から手回し式の計算機を借りてきてデータを出し、多量の図表作りに徹夜したこともしばしばでした。先生はそれをもって夜行列車で東京の学会に行かれる。だんだんとそれそれが成長し充実した日々に変身して行きました。
 

某社を煩わせて片山先生の新案考案により作製された、小学生を対象にしたフッ化ソーダ塗布の機械・器具一式と歯磨剤のチューブ形をした大型の宣伝カーにヘッドレストの付いた折りたたみ式簡便椅子50台を積み込んで、われわれも同乗し、各学校で生徒を対象にしたをフッ化ソーダ塗布のために訪問したこともありました。

各自ブラッシングを済ませた児童を外向き円形に並べた簡便椅子に座らせる。エヤーコンプレッサーなどを整備したポータブル機械の台車、１台目の前の者が口腔清掃して、ロール綿花で防湿をする。後ろの者がエアーで乾燥させる。 ２台目台車、前の者がフッ化ソーダを塗布し、後ろの者が口腔内を監視し、時間が来れば防湿綿花を除去する。空いた椅子に次の生徒が座る。塗布する生徒
がいる限りくるくると廻り続けてフッ化ソーダを塗布していく。勿論、ロール綿花も各種綿球もフッ化ソーダを染ませた綿球を入れるためのワックスコーテングしたシャーレも全部、手作りでした。
卒業間際の実習でした。

国家試験の終了後、その機械器具一式すべてを携えて、卒業したわれわれ４期生の内、７名の歯科衛生士が一緒に某社に就職しました。 しかしその企画・実行も会社の都合で崖かの期間で中止され、就職した歯科衛生士はお茶汲やダイレクトメールの宛名書きに組替えられ、そして研究所に配置転換させられてバラバラになりました。暫く研究所で歯磨剤の成分研究に当たっていましたが、結
局、退社することにしました。
 

昭和29年、まだ当時の豊中保健所で歯科衛生係長と歯科衛生士養成所長をされていた片山先生のお手伝いをすることになりました。
長い長い五十数年がいつの間にか経過していました。高校卒業仕立ての者が、71歳を過ぎてしまいました。勿論、４期生で仕事をしている者は、私ひとりです。

2006 創刊号より

確か、昭和56年４月のことだと思う。「松風歯科クラブ」主催の無料講演会が東京・全協連ビルで開催され、たまたま出掛けて偶然お話を開いたのが、片山先生だった訳で、それまでこの偉大な歯科医が存在されていることは全く知らなかった。

大学卒業して３年間は埼玉県の大学の先輩のところに勤務し、その後茨城県の２万人程の町の私立の病院の歯科に勤務して３年が経過したところであった。

当時の歯科事情は「歯の110番」がマスコミの話題となり、歯科治療費の高額がやり玉に上がっていた。講演会の花形はメタルボンドの保母先生で講演料100万円とか言われていた。エンドは大谷満先生、予防は丸森先生が第１人者とGPの間では噂されていた時代である。

卒後３年間は、保険では一切補綴物を入れない補綴科出身の先輩の歯科医院に勤務し、この３年間に補綴物が壊れて来院と言う記憶はまず無い。私の前任に２年間勤務していた先輩が居たので、私はこの歯科医院開業３年目に就職したことになる。と言うことは先
輩開業５年経過で再製しなくてはいけないと言う症例にあたらなかったことになる。こちらは補綴に至る前段階のエンドや抜歯ばかりやっていたので、動揺歯は抜き、虫歯にはしっかりエンドさえすれば補綴物は長持ちするものだと思っていた。
 

私の受け持ち分野は、保険治療の範囲だったので、痛みを取り或いは抜歯をした後に、補綴の治療方針のことを治療途中で患者に説明し、今後も歯科治療を当院で続けて行くか選択させる役割も担っていた。矛盾は、自分の抜歯したところを、保険治療で治したいと希望する患者に対し、来院を断らなければいけないことであった。患者も何故補綴を保険でやれないのか質問して来た。根の治療
をきちんとするには時間が掛かり、そのためには補綴を保険外でやってくれる人しか採算が取れないのだと説明していた。

私が退職する時は診療来院予約は１週間に１回乃至２回は取れていた。私は１日約15名の患者を受け持っていたと思う。
しかしその地域に保険で補綴をやってくれる若い歯科医も当然存在し、そこでは１日50人以上の患者で溢れていた。メタルボンド１本７万円であったが、子供が私の説明を聞いていて、母親に「僕にお金を掛けなくて良いよ」と主張し、母親は「あんたは黙ってなさい」と子供を叱っていたこともあった。説明していた私はこれが医者のやることかと疑問に感じていた。
 

そんな、３年間を経て現勤務地の茨城県へやって来たきっかけは、東郷神社神職の友人の奥さんの親戚筋である産婦人科の医者が、病院を創り、そこに歯科を併設したいと言うことで歯科医を探しているとの話が持ち込まれたことだった。卒後１年の時であり、自信が無いとその時は断った。
 

しかし、その２年後に病院長から手紙を頂いたことが発端となった。

私の前任者の２年契約も切れ、後継する歯科医を募集しているとのことであった。この地区では歯科にかかるため夜明け前から並び、寒いので車のエンジンをかけ、それが公害になっているとの内容だった。月給100万の給料での募集であった。当時卒後３年か４年を経て開業するのが一般的と言われていた。最初は夢中だった歯科治療もさすがに３年間同じことをやっていたら飽きが来ていた頃だった。
 

病院創設の時は、歯科室に２台の歯科ユニットが設置されてスタートし、常勤は病院長と歯科医の２人だけだった。私が赴任した直前に待合い室を改造して歯科室を移転しユニットを４台に増やした。久し振りに蛙の鳴き声を聞きながら夜を迎えることとなった。

２万人の町ながら当時歯科医院は７軒あり、この町自身は極端に歯科医が少ない訳ではなかったし、県西一の公立総合病院がありけっして医療過疎地ではなかった。 しかし周辺の町村に歯科医院が少なくそこの人々が来院するので、やはり歯科治療を受けることは至難の様だった。兎に角炎症による痛みを訴える人が多かった。義歯が入っていても、根管治療を施してない残根上の義歯のため、炎症で顔が腫れ上がり40度近い発熱で夜中に救急車で運ばれて来ることも多かった。埼玉県勤務の３年間で見たこともない症状の連続であった。抗生剤の点滴と膿瘍切開と原因歯の抜歯で対応していた。口底炎で呼吸困難に陥らないかヒヤヒヤものだった。
 

この地域では口腔外科が必要だと感じ、丁度同卒の現浜松医大口外教授の橋本賢二先生が鹿児島大から塩田教授が医科歯科大の教授に就任したのを機に東京に戻って来たので、彼に応援に来てくれないか相談した。東京ではそんな炎症のひどい患者は殆ど見なくなったと語っていた。
 

当初新患受付を１日５人割りにして、１週間に１度土曜日の早朝に25名までノートに記入して貰うことにし、夜勤の看護婦さんに午前６時頃、歯科受付の前にノートを出して貰った。 １日50名前後の患者のうち１日５名は予約治療の終了をさせねば患者は溢れることになる。月２〜３回は受診出来る体制を取りたいとなると、根尖病巣の有る大臼歯の残根はまず抜歯。抜髄は小臼歯まではどの歯も根尖まで拡大するとしても、大臼歯は保険内補綴希望の患者には仝ての根を根尖まで開けることを諦めた。兎に角痛みを取ることを最優先させた。

この地区でも隣接する市内で私が埼玉で勤務していた所の様に保険医でありながら保険で補綴を一切やらないとする歯科医も存在していた。その先生は他の若い歯科医からは尊敬されていたし、高く評価されていた。こちらは生活保護の人も診る保険医療機関であるし、当然補綴治療も保険で希望すればその保険点数で診療することになる。金１g五千円以上する時は保険点数の方が低く、入れれば入れる程赤字になり、さすがに行政の矛盾を感じた。 20％の金銀パラジウムが保険で使用される金属であり、当時歯科市場に出回っているパラジウム合金の倍の請求が歯科医院からなされていると噂されていた。政府にして見れば、不正請求しているのだから、歯科医に同情する必要も感じなかったのだろう。正直者は馬鹿を見るわけだが、かと言って保険歯科医がトータルで赤字経営になるかと言えばそうでもなかった。患者さえ多ければ、黒字経営の筈だった。
 

患者さんが待合室で噂していたのを間いたことがある。「ここは安くて、上手いからはやるのは当然やわ｡」と。上手いと言うのは痛みを早く止めるとの意だったのだろう。当時この地域では、サンプラ冠が５千円から１万円、保険で利くレジン床が２〜３万円、鋳造冠も３万前後である。それを規定通りの点数請求にすると、自己負担は十分の一程度に成りかねないので、見た目が同じなら、安いと感じるのも当然である。病院長のところにあれでやって行けるのかと心配して忠告した人も居た。院長の水戸一高時代の同級生の歯科医が勤務医の給料の３倍収入が有ればまず大丈夫と教えたらしく、病院長にして見れば利益が出なくとも患者をこの病院に引き寄せれば文句ないとの態度だった。朝の順番を取るのに、15キロ程離れた町のお年寄りが若い人に３万円支払い、順番取りのアルバイトをさせたと語っていたのを想い出す。
 

最初の１年間は一人でやってみたが、兎に角、大臼歯も根尖まで拡大するには歯科医が一人では間に合わないので、母校の厚生課に行き、募集を掛けてみた。私の経験で新卒でも15万点位は保険の点数で上がりそうなので、私の給料よりも５割増しの月給150万円で経験を間わず募集を出して見た。それ以上の金額の募集を他地方で見ていたからである。
 

しかし、１人位居るだろうとの予想に反し一人も応募が無かった。橋本先生は高いと警戒されて来ないよとアドバイスしてくれた。その替わり、講師となって医科歯科大へ戻って来た橋本先生ほか計４名が交代で毎週土曜日に私の勤務２年目から応援に来てくれることになった。

鹿児島時代の夏休みに奄美大島の無歯科医村に行き、一度に多数歯抜歯した経験があるから歯科医の少ない地区の口腔内の事情は把握していた。抜歯の患者は土曜日に集中させ、彼らに抜いて貰った。 １日80本の抜歯、一人一度に20本の残根抜歯というのもあった。ある歯科医は野戦病院だなとの感想を洩らしていた。笑えない話しであるが、麻酔をして次の患者を診てから、戻って抜歯すると言う具合だから麻酔が効くまで患者の元を離れることになる。左右同時に抜くこともあり、橋本先生が麻酔をして他の患者を診ていたので、手が空いた私が替わりに抜歯した。抜いた後で、反対側の小臼歯も抜こうとしたら、橋本先生が片顎しか麻酔は注射してないと言う。私が抜いた側は麻酔注射してないことが分かった。こちらも驚いて抜歯後に急いで麻酔を打った。結構しっかりした残根だったが、患者も黙って口を開けているし、こちらは疑いもせずにヘーベルを突き刺しての抜歯を実施した。 しびれてないと言うので終わったあとからあわてて麻酔注射したのだが患者は抜歯とはそんなものと思い込み、私も麻酔が効いているものと思っての行為であった。表情一つ変えないで抜歯出来たことの発見に驚いた。患者は魚屋さんの若女将で、丈夫そうな人だが、待合室で麻酔しないで抜かれたと皆に披露していた。

中国大陸では、田舎に行くと野外で患者を椅子に座らせペンチみたいな物で、歯をポンポン抜いていたと知り合いから間いたことがあったが、納得出来た。そんな、歯科環境を過ごし、勤務３年目は月給を半分の75万円にして募集したら新卒の後輩が勤務を申し出て来た。

この昭和55年の時、医療監査が入った。

監査と言うのは、いきなり県の技官たち５、６名位がやって来て、カルテを出せと調べるものである。個別指導とか厚生省指導を受けたと言うことは県内でもよく耳にするが監査を受けたと言うのは滅多に間かない。後で考えたら、産婦人科から病院を建て、歯科と耳鼻咽喉科を併設して来た拡大傾向の病院にメスを入れようと言うものであった様だ。

その技官達の中に一人だけ歯科の技官も同行して来た。午前中の診療時間に受付事務の者が呼ばれ、指摘された模型を探したり、すぐ見つからないので焦っていた。その様子を聞いて腹立たしく思ったので、昼休みに録音機を持ってこちらから技官のところに出掛けた。新人の勤務医も一緒に付いて来た。焦点は当時保険点数に導入された根管形成の点数をどの時点で請求すべきかで歯科技官と論争になった。技官の言うことは、根管形成というものは根充前の一連の行為なので、根銃時か前回に請求しろと言うことであり、私の方は根充の時期がいつであるうと、根尖まで拡大形成が終わった時点で算定すれば良いではないかと意見がかみ合わなかった。厚生省の青本に書いてあると言うので、では探して見ろということになった。ところが技官が青本をめくっても、その様にはっきり記述したとこが見つからなかった。

歯科技官と言っても県に依託された開業医であり、娘は医科歯科大の私の同級生であった。見つからないことに苛立った技官は青本を机の上に叩きつけ、「査定だ！」と怒鳴った。「何を！」とそこで激しいロ論となったが昼休みの時間が無くなったので私は仕事場に戻った。同室に居た医科の技官や県の役人は二人の激しいやり取りにシーンとなって、医科の審査を止め、黙って聞いていた。

歯科技官が言うのには学問と保険請求は違うということであったが、学問に基づいて保険診療は認められているのではと意見が噛み合わない。大学の臨床実習ではまず兎に角根尖まで拡大し、無菌にするため貼薬を繰り返し、細菌培養でマイナスになった時点で根充していたからであった。根管治療の評価があまりにも低過ぎたため、時間を掛けて根尖まで拡大する行為に対し、厚生省と学者が検討し、根管形成だとか加圧根充という項目が新設されて来たのだと思う。それまでは拡大しようがしまいが、綿栓で根充しようが全て同じ評価だった。
 

外で報告を受けていた病院長は「こちらは何も悪いことしてないのだから、緒方先生はもっとやれ」と、エールを送っていたとのことだから、今時の経営者とは感覚が違う様だ。
 

新設された耳鼻咽喉科には筑波大の教授と助教授と講師が診療に来ていたが、医科の技官はこの人達の診療請求に対してもクレームを付けていたので、なる程学問と保険は医科でも違うことが分かる。報告を受けた助教授は医科の技官を指導してやるから連れて来いと怒っていたので、治療方針まで保険制度は学問と離れているのが現実の様だった。
 

傑作なのは私が診療室に戻った後もテープは回り続けていた。興奮していて持ってくるのを忘れてしまっていたからだ。聞いてみると私が戻った後、事務長、医科歯科の事務員に対して医科の技官が総評を行っていた。医科が終わったあと歯科に触れ、「いや、元気のいい歯医者さんが居たもので､」と語ると面目を潰された格好の歯科の技官が、「今の若い奴はみんなあんなで、自分が正しいと思ってやがる。もう一人言うことを聞かない奴が居る。何か良心的で五本の指だ｡」と語っているのがテープに入っていた。と言うのは、以前から根管形成の時期がおかしいとレセプトが度々戻って来ていた。こちらは教育を受けた通りにやっているのでおかしいと思わず、「何がおかしいのか分からない。茨城県で五本の指に入る良心的な診療をやっている。」と粋がって送り返していたからである。

事務長に監査で何か処分されたか尋ねたら、注意があったのみで実害は無かったとのことだった。その後県の医務課に行ったら、同行していた役人が「あんなのは初めて見た｡」と事務員に語っていたとのことだ。まず監査に行くとペコペコしてどうかお手柔らかにという態度が常らしい。指導と違って監査と言うのは何の前触れも無しにいきなり不正を暴くとの態度でやって来る。

ところが、勝手の違う激しい歯科医が居た。これに驚き、今回は引き下がって置こうと言うのが実状では無かったかと思う。いきなり来ると言えば、税務署が医療機関を査察するのが当時のはやりだった。国税庁も地方税務署もやって来たことがある。歯科の会計を調べた署員が「こんな面倒見の良い歯科は初めて見た。これなら私も掛かりたい｡」と受付の事務員に語って帰ったこともあった。当然、受付は自分の勤務する仕事場を誇りに思ったことは言うまでもない。当時の私はこう思っていた。同じ町に県西一の公立の総合病院を控えて、税金を納めながら規模を広げて行くには、身体的にも経営的にも無理をしなければならない。貧乏な子供の頃の病院を建てるという夢に向かってそれを実行しようと一産婦人科医が頑張っている。今まで新幹線にも乗ったことがないと言う。抜歯もしたことも有ると言う全科をこなして居た無医村タイプの医師だったので、入院患者を抱えては旅行にも出掛けられなかったからだ。総合病院に無い歯科を併設し、赤字に成らなければ全て任せると言う。
 

世の中の歯医者は借金をして開業をし、それが為に私費と保険診療の補綴物を設定し、あなたはどちらを望みますかと国民皆保険制度の中で問い、医科の武見医師会会長からは金属や材料を変えるだけで医療費を何借も変えるのは疑問だと言われる始末であった。歯科医は技術料が低すぎるからだと主張し、国民からは「医は算術」だと揶揄されていた。借金して開業して必死だったのがやが
て２〜３年でゴルフ通いの身分になるのが一般開業歯科医の姿だった。
 

国立大を出て国民の税金で歯科医になり、ここなら開業のための借金返済も必要なく、それが為に必死で私費を進める必要もない。経営者は儲けをよこせと言うのでもない。赤字も出さず、患者が助かる歯科にすれば患者も集まるし、経営者の約束に違わないことになる。こう考えて歯科臨床に望んでいたのである。
 

しかし、保険請求は審査する側を考慮してあげないと、レセプトを見ただけでは内容が分からないことも事実だった。新卒の歯科医に自分かやった通りに保険点数を記入するようにさせてみたら、レセプトを見ただけでは、何故こうなったのか治療の流れが全く分からなかった。逆に言えば我々の臨床は保険治療指針という枠組みに保険制度の臨床の経験を積めば積むほど組み込まれて行くことを意味していた。
 

しかし、この技官に対しては従順な態度はせず、支部の保険指導でこの技官が説明するときには、一番前列で反旗を翻していた。支部の先輩歯科医から呼び出しがあり、県歯科医師会ではあいつは何だとの話しになったとのこと。文句が有るなら俺のところにまず言って来てくれとのことだった。医療監査のやり取りの噂は県歯科医師会では話題になったらしく、他支部の歯科医の幹部連中も、
知ることとなった。大学同窓会の大先輩達は、「よくやった！」と言う人が多かった。 しかし、同世代では、「俺達や後輩が迷惑するから、技官と喧嘩するな」と言う人も居た。同窓では無いが、私が尊敬していた水戸市の高校の校長先生から、その学校の私と同世代の歯科校医と話した際私を知っているか尋ねると「あの人は立派な人ですね。」と語っていたと伺ったこともある。
 

片山先生を知った後であったが、その三〜四年後には厚生省指導の対象とされ、さらにその数年後に交代した若手の県技官の個別指導も受けた。
 

厚生省指導の峙は病院長も同席したが、私と喧嘩した技官も同席していた。厚生省の官僚二人と初めて対峙した。彼等はさすがにプロだった。保険の利く金属材料を使いクラスプの形態を保険と違う形態にした場合その義歯は保険外の補縞物になるのか尋ねると厚生省技官は即座に答えた。当時の厚生省としては有名な上杉裁判の際の主張でも分かる様に、保険医は全て保険の範囲で診療すべきとの見解を持っていた時代である。医療費が税金で賄えなくなった現在とは見解が違っていた。最期に私が「私が勤務している場所は開業医がサンプラ冠を五千円とか一万円で入れている地域だ。しかし、保険ではアマルガム充填と変わらない評価しかしていない。金バラ鋳造冠も３、４万円と高く、こちらが保険通りの値段でやっていたら、こちらに患者が流れて来るのは当たり前ではない
か。それを患者が減ったからと文句を言われても法がそうなっているのだから、仕様がないではないか｡」と暗に地域の歯科医が指導対象の指名工作したのではと匂わせた。私の主張は厚生省の定めた点数通りにやったら、そうなってしまうではないかと問うたことになる。若い方の厚生官僚は「お互いに頑張りましょう。」と言うし、席を立って帰っていくと県の医務課の人が追っかけて来て、「決して我々は、君が憎くてやっているのではない」と語った。「厚生省が、厚生省が、・・・」と口癖だった例の県技官は帰る際受付事務の者に「緒方君はおとなしくなったねえ｡」と話しかけて来たそうだ。また喧嘩になると予想していたのだろう。

その時は山王病院の歯科はユニット15台、常勤歯科医７名非常勤歯科医４名の大所帯となって居り、身軽で無く、個々にやられたら忽ちやり込められると考え、そう易々と喧嘩は出来ないなと考えていた。
 

厚生省が最初に聞いたことは、どこの大学を卒業したのか？ と、給料は歩合制かということだった。「勤務して以来一円も上がらなければ、一円も下がってない。その替わり後から勤務して来た者の初任給は下げられた｡」と応えると驚いた表情をしていた。厚生省が最後に、理事長兼病院長に向かって総評したことは、「勤務している先生方は、みんなバラバラな治療方針でやっている。
医療機関として、まとまった方針で管理して貰いたい｡」というものであった。点数を上げるためにこうしろとか、今までに言ったこともないし、自由気ままな方針でも、じっと見て少しは参考にするだろうと思っていた。同じことをする必要はないし、まず私自身が変化している。主治医は患者が決める。
 

その次ぎに受けた若手の県技官による個別指導の時は、机の上に提出を求められたカルテがたくさん積み上げられた。上の４〜５枚目のときに、何ヶ月かブラッシング指導の続いたのちに除石の請求していた私の患者のカルテがあった。子供のカルテであった。この頃は歯周病の指導料の算定がどんなだか忘れてしまったが、厚生省指導を受けた時や個別指導の時は既に片山セミナーの始まっていた時であり、ブラッシングの時間を診療の中で、かなり取り入れていた。歯周病処置が何ケ月も無く、最期に急にスケーリングの請求がレセプト上に出て来るのは支払い側の保険組合にとって不思議に思える様であり、再審査要求を審査会にして、レセプトを戻していたのである。カルテの内容を見た技官は分かりましたと言ってその後の20センチ以上積み上げられた審査対象のカルテを調べようともしなかった。

隣で払い戻しの金額を記入する係りの役人は、「えっ、もういいんですか？」と拍子技けした表情だった。その後は、個別指導で自殺した歯科医が他県に出たらしく、指名式でなく、平均点数の多い医療機関を呼び出す様になった。 レセブト枚数は県下で３本指に入るぐらい多いが平均点数は低いので、その後の呼び出しはその後ずっと無い。
普通は個別指導から始まり、次に厚生省、さらに改めなければ医療監査との順番だが、私の場合はまったくの逆のコースを歩んで来たことになる。

話しを昭和56年に戻すが、残根は抜歯し、大きく動く歯は抜歯するのが当たり前と思い、私は私費以外の補綴治療をしない歯科医に反発を感じていた。だから片山先生の講演の趣旨である「残存歯の延命」と言うタイトルからは残根の歯を残して行くと言うイメージしか湧かなかった。
昭和56年４月、全共連ビルの会場は満員だった。午後からの講演だったと思う。その後何度もセミナーでスライドを見ているので、その時も同じスライドを使っている筈だが、グラグラの歯槽骨の吸収した歯をずっと残していることに驚嘆して感動したとはどうしても思えないのである。そんな記憶が無いのである。スーツを着た、背筋のキチンとした七十歳の歯科医であった。講演終了後もフロアーからの質問に応えていた。主催者が時間ですと言うとジロリと睨んで、延長したら拙いのかと言い、係りの者が恐縮するとそのまま延長して応える。この人は自分が今まで見てきた歯科医とは違うなと感じた。

これが粋がっていた頃の私の片山先生との出会いの印象なのである。

そして私が反発した歯科医の奥にこの人が居たのかと認識する様になり、その後は常に片山先生を意識する様になった。
 

松風の講演会の中で約束した通り、やがて片山セミナーの案内がやって来た。申し込んだ時点では奈良の会場しか空いていないとのこと。免許取得後、初めての高速を飛ばした。奈良の会場には午前中早く着き、誰もまだ来ていなかった。駐車場の車の中で待って居ると、やがて片山先生一行がやって来た。挨拶すると土居先生か矢野先生が東名を飛ばして来たのかと驚いていた。片山先生が「無茶をしてはいかんよ」との意の声をかけてくれた。これが片山先生からの最初の言葉掛けと思う。私の歯科医としての考え方と人生の位置付けはその時から大きく変化したことは確かである。
 

その後、昭和62年の片山先生喜寿の年まで、片山セミナーの受講やお手伝いをし、片山先生の診療室に呼ばれたことも幾度かあった。その時「そこまで分かっているなら、お前は同志だ。」と言われたこともあった。その最後の年、IPRと言う心理学に基づくセミナーに土居先生と平井さんと共に受講した際、神憑り状態となる一過性多発性脳梗塞を起こし、片山先生に大変なご心配をかけた。片山先生の側に居たら、先生の命を縮め兼ねないと判断し、その後10年間はお会いすることを避けた。今、ひょんなことがきっかけで再び先生に接する様になった。決してNPO法人の理事になる様な資格はないことは重々知っているが、片山門下の末弟であるとの自覚は勝手に確信している。
 

今年の平成17年末を最期に、27年かけて築いてきた百坪の歯科室が病院の方針で整形外科中心の病院として再編され、15台のユニットは廃棄し、リハビリ室に変えると言う。 1400名の歯科受診率の患者は切り捨て、県から雇用優良な事業所と表彰された額縁を医科待合室に掲示しながら、歯科スタッフは大幅に解雇すると言う。歯科に将来性は無く、年間純益一千万や二千万程度では経営の障碍になると言うのが、患者を第一にと言うのが口癖の自らの産婦人科を廃した二代目病院長の考えである。整形外科中心を示唆した者が、病院法人理事であり、元県庁の組合活動をしていた、人権擁護派系の代議士に立候補した弁護士の事務所に関係している医療コンサルタントと言うから呆れる。
 

しかし、勤務先を去ることになるにしても、片山先生が提唱した医療哲学は、私の中ではターミナルを意識した医療や自分の意思を旨く伝えることの出来ない障害者の医療はどう有るべきかと考える様になり、その20年の結果から確信に近いものを今持ち得て来たと思えることは、歯科医として幸せと言うべきかとも思う。松尾芭蕉が、身は武蔵野の野辺に朽ちるとも夢は目標に向かって定まっていたのと同じである。

「歯医者復活戦の義は我にあり」と言った心境である。

2006 創刊号より

この会の常務理事である沖淳さんの歯科医院を初めて訪れたのは、平成14年春のことだ。
「8020運動」にならっていえば、当時のわたしは「５９０９」の状態だった。残っている、下顎の9本は、歯根が露出し朽ちた卒塔婆のような惨状で、見かけだけでなく発声するさいの呼気でも揺らぐほど弱っていた。
 

そんな歯に未練はなかったから、「ぜんぶ抜歯して、いい入れ歯をつくってください」とお願いした。老いさらばえた歯をきれいさっぱり取り除き、頑丈かつ機能的な総入れ歯で第二の人生を迎えたかったのである。
 

黙ってわたしの希望を聞いていた沖さんは、診察してから「入れ歯はいつでもつくれますが、ともかく、１週間、丹念に歯磨さしてから来てください」とおっしゃった。戸感っているわたしに「助かるかどうかわかりませんが、歯肉の反応を見てみたいんです」と説明し、治療の基本はブラッシングにあるとか、治療は医・患共働で行うものだとかいった話を熱っぽくされた。
 

耳を傾けながら「ヤレヤレ」と重い気持ちになった。
 

いつのころからか、「容易に抜歯をしない」というのが良心的な歯科医のあかしのように言われだしたが、その風潮にある種のうさんくささを感じていた。わたしの周りの経験談は例外なく、その間治療らしきものはされず痛い思いを長引かせるだけで結局は抜かれるという筋書きをたどっていたからである。
 

ましてや、わたしの歯は”呼気にそよぐ卒塔婆”なのだ。どうみたって助かるわけないじゃないか。「先生ノ自己満足ノタメニ１週間モコチラガ不愉快ナ日々ヲ送ラナクチャイケナイノカイ。カンベンシテヨ」。正直にいえば、そのとき内心こう思っていた。

元気なころだったら、この段階で「ハイ、失礼します」と席を蹴っていたにちがいない。だが、そのころ、かるいウツ状態で自分でも歯がゆいくらい万事に引っ込み思案になっていたから、腰があがらずにいた。 しかし、黙っているのも業腹なので、「ブラッシングといえば、歯肉が腫れあがっているときでも絵筆かなんかでやると効果がある、なんて主張している人もいますね」と言った。
 

歯肉の反応を見たいなんてその絵筆療法と同じようにマユツバモノだと皮肉の矢をはなったつもりだったのだが、沖さんのリアクションは期待に反したものだった。「えっ、片山（恒夫）先生の本をお読みになったんですか」と”同志”に接するような親しげな様子をみせたのである。
 

どうやら、わたしは知らずして片山さんの本を読んでいたらしい。著者の名を覚えていなかったが、そう言われれば仲さんの話はその本の内容に似ていた。聞けば、片山さんに親しく教えを乞うているのだという。
 

治療を受けることにしたのは、べつの歯科医院を探すのが億劫だったからだが、本を読んだとき感じた片山理論への“疑問”について身をもって確かめてみるのも悪くないかもしれないという思いもどこかにあった。
 

とどのつまりは抜くことになるに決まっているが、そのときにこの先生（沖さん）に言ってやるんだ。「やっぱりムダでしたね。片山さんという方に言づてを願えませんか。“いくらなんでも血だらけになって歯磨きはないでしょう”’って］。
 

こんな魂胆を胸に秘めて患者になったのだから、われながらあきれる。へそ曲がりにもほどがあるというものだ。
 

で、わたしの歯はどうなったか。
 

ただいま現在、「６４　７.５」である。９本のうち１本抜き、１本は残根になったが、あとの“呼気にそよぐ卒塔婆”たちは今や、沖さんの見立てによれば「がっしりしてビクともしなくなりましたね」という状態にまで改善された。
 

片山先生、根拠もなく疑ってごめんなさい。おかけで歯無しにならずにすみました。

2007 Vol.2　より

石山　茂利夫

早稲田大学卒。昭和４２年読売新社入社。社会部記者、日曜版編集部次長、文化部次長、新聞監査委員会委員などを歴任。

著書に『今様こくご辞書』（読売新聞社）、『裏読み深読み国語辞書』『国語辞書事件簿』『国語辞書出生の秘密』（以上、草国社）、

『中学校教師』（講談社文庫）、他多数。

はじめに
私は沖 淳先生を通して片山先生にお会いする事が出来ました。そして、初めてお会いしたのは、豊岡の診療所というラッキーな男です。
 

そこで、片山先生が翻訳されましたWESTON A.PRICE著「食生活と身体の退化」に出会ったとき、片山先生がとてつもない歯科界の巨人であることに圧倒されたことを覚えています。それ以来、地に足のついた地味な仕事を生涯の中でやり遂げたいという希望が湧いてきました。あれからかなりの年月が過ぎましたが、何一つ進歩がありません。 しかし、片山先生の肉声がまだ脳裏に強く焼きついておりますので、形として見えないですが大きな後押しとなっている気がしてなりません。

本稿では、最近感じていることを稚拙な文章ですが書かせて頂きます。
 

歯科医療は、技術偏重型の医療？
 

私は歯科大学在学中、補綴学の実習が大好きであり、一方苦手でした。どういうことかというと、物を作り出す工程は非常に刺激的であり創造的でしたが、その製作物に対しての評価が厳しく、臨床経験が皆無であった私にはその意味がまったく理解できませんでした。今考えると、当然のことです。歯科医療はそのような経験に裏付けられた、技術の占める割合が非常に高い医療であるといっ
ても過言ではありません。

そのためか卒業後、歯周病科に入局した時は、患者さんに対するプラークコントロールがとても新鮮に感じられました。重度の歯周病のケースでも、患者さんが依頼心を捨て歯周病を治すんだと自分自身で心に決め、生活習慣を見直し、セルフケアを積極的に始めるとみるみるうちに歯肉が改善されていくのです。こころの中にあるボタンの押し方を教えて差し上げれば、治癒への造が開けてくるのです。

一方、長期にわたってメインテナンスを受けている患者さんでも、一つ悲しい出来事があると、それまでの習慣がいとも簡単に崩れ去ってしまいます。結果、歯周病は再発します。ですから、からみ合った心の糸を解きほぐすお手伝いをしてあげればいいのです。極論になるかもしれませんが、歯周治療は口腔内科的な色彩の強い医療の分野であると思います。

“人は誰でも心のボタンを持っている”ということを忘れなければ、口腔保健の道は見えてくると思います。
 

これからの歯科医癈人に求められる姿とＰＯＨＣの考え方
 

人口の高齢化が進み、疾病や障害をお持ちの方が急増しています。このことは、健常人を対象としたこれまでの歯科医療では、国民の切なる要望にこたえられないことを意味しています。そして、この傾向は急峻です。

歯科大学、短期大学、専門学校の現行の教育では、国民のニーズに応えられる人材は育てられない可能性があります。このことは何を意味しているでしょうか。・・・国民は、旧態然とした歯科医療には尊敬も魅力も感じないということです。

現実に在宅や施設、病院で、療養や闘病生活を送っている方々に対し、誠意を持って訪問診療をされている方は、決して多くはありません。一方、看護師、介護職向けの月刊誌で口腔ケアの特集を掲載しない月はありません。数年前は、“口腔ケア”の執筆者の半数以上は、歯科医療関係者でした。

しかし、今はそれぞれの職種（看護師、介護福祉士）が自前の著者を選び出し、詳細にわたる実践報告をしています。口腔ケアは歯科の独壇場だと間違った認識をしているのは、いまや歯科医療関係者だけです。このミスマッチは深刻です。国民がそれそれの現場にあった口腔ケアを必要としているのに。このリクエストに、歯科医療関係者は真剣に応えているでしょうか。

私は、看護師が行う“看護口腔ケア”があってもよいでしょうし、介護福祉士が行う“介護口腔ケア”もあって良いと思っています。ただし、歯科医師、歯科衛生士が行う専門的歯科口腔ケア（Professiona1 0ra1 Health Care＝POHC）が中心にしっかり存在していることが前提です。 しかし、残念ながら歯科医師、歯科衛生土自身がこのことの重要性を理解していません。これからの歯科医療人に求められる姿は、他の職種の規範となる口腔ケアを確立し、連携しながら啓発していく人物像であると思います。
 

歯科衛生士が創るケアの世界
 

心が関けば、口が開く。口が開けば、心が開く。

口腔は看護の質を表すと言ったヴァージニア・ヘンダーソンの言葉は余りに有名です。それだけ口腔は顧みられていないのです。 1999年の英国医学雑誌Lancetに「劣悪な口腔衛生は世界中の高齢者において共通する事実である」という論文が掲載されましたが、大変驚いてしまいました。どこの国でも、高齢者の口腔は護られていないのです。

「口は健康（病気）の人口、魂の出口」と言われるように、口腔は肉体と精神の健康と密接に関係しています。 しかし、この「口腔」という領域を歯科と捉えると極めて狭小なイメージを抱きます。医師の多くは、口腔のことにはほとんど関心がありません。

一方、歯科医師は歯のことには関心を抱いても広く口腔のことについては、意外と注意を向けません。ましてや、全身の健康や精神衛生上の健康と口腔を結び付けようという人はほとんどいません。

このことはどういうことを意味するかというと、肉体的、精神的健康と口腔を関連付ける専門家がいないということです。この現実を考えたとき、歯科衛生士は口腔と健康を結びつける役割を率先して担うべきです。私は訪問歯科診療で、なかなか口をあけてくれない痴呆のご老人に接する時に、歯科治療が本当に必要だったら口をあけてくれるのではないかと判断し、われわれの価値観を押し付けないことにしています。無理やり口を開けさせては心を傷つけてしまうと考えるからです。

実際、気長に口腔ケアだけをしていくうち、ある時から急に大きく口を開けてくれるようになり、治療がスムーズに進められたといういくつかの経験があります。歯科治療をスムーズに進めるために緊張感をとる口腔ケアは非常に効果的であり、この役割を担う歯科衛生士の仕事は重要です。

心をそっと関いてもらえるような歯科衛生士の行う口腔ケアは、健常者の健康管理や健康増進においてもその力を十二分に発揮できるのではないでしょうか。

心まで語れる歯科医療人が、今求められています。

2007 Vol.2 より

沖 淳さんは30年を超える我が家のホームドクターである。沖さんに片山さんが拓いてきた道をお聞きし、突き勣かされた。
ご紹介頂いて『こころの時代』になった。
 

豊中市のご自宅に片山さんをお訪ねしたのは2001年の早春である。
90歳の片山さんはベッドに背もたれを当てて座り応対してくださった。
当時、週に一回、朝５時に全国の各地の歯科医と電話をつないで電話セミナーを開いておられたが、セミナーも同じくベッドに座ってのスタイルとのことであった。

言葉は明晰、こちらの質問にある時はすぐに、ある時は言葉を選び出しながらお話下さった。
片山さんの大阪言葉にくるまれると難しい医学用語も歯磨きの毎日の実践の効用を説く言葉もやわらかく聞こえる。
患者の心が勁かされるのも道理と思わせる話し方をなさる。
 

私が、片山さんを知ったのは、大阪放送局に勤務した80年代である。「抜かずに治す歯医者が豊中市にいる」だったが、歯は悪くなかったからそこまでの話で終わった。

東京に転勤し沖歯科医院の近くに住んだ。「大学の助教授を辞めて開業した先生」「抜かずに磨くだけで治す先生』と評判で妻や娘、孫まで掛かった。
 

待合室の書棚の多くの本の中に『歯無しにならない話』（長倉功著）があった。
長倉氏は歯を磨くだけで歯槽膿漏が治癒するのか、と疑ってかかる患者に歯磨きを実践させ治していくプロセスを活写している。
 

沖さんは日本歯科大学助教授を辞職すると同時に片山さんの勉強会に加わり、セミナーに参加した。
関東と関西で春秋２回聞かれていたセミナーには大学の垣根を超えて教師や学生、開業医が延べ5,000人参加した。
これだけの受講者を集める片山さんの魅力を知りたかった。
 

片山さんにお手紙を差し上げた。
中野は『こころの時代』の企画と聞き手であり、この２年間の出演者の氏名とテーマを添えた。


例えば作家の城山三郎さんのお話のテーマは直木賞受賞作『総会屋錦城』であった。
城山さんは、株主総会での総会屋の存在が無視できないことが世間に明らかになる30年も前に総会屋が会社運営の潤滑油として機能していることに着目した。昭和55年に直本賞受賞。以来、昭和の時代と正対して作品を書いてきた姿勢をお話頂いた。

『銀メダルの人生』は橋爪四郎さんである。
第二次大戦後の目本の競泳は古橋広之進選手と橋爪四郎選手が牽引した。
ヘルシンキ・オリンピックまでは常に二番手の存在だった橋爪さんが銀メダルを手にした。古橋選手は無冠に終わった。
挫けるこころを奮い立たせたのは「いつかは」という意思だった。
 

片山さんから出演承諾のご返事を頂くまでには長い時間がかかったことを記憶している。
 

自然食主義を唱える高名な大学教授が歯槽膿漏を患って訪ねてきた。
治療というより論争を挑むつもりでお出でになったようである。
(教授)
人間は歯を磨かないで進化してきた。
歯に滞留する付着物を取るための歯磨きか。
食物は胃にも滞留しているが胃袋に歯ブラシをかけた人はいない。
(片山)
動物は自分に適した食料を捜して食べる。人間は加熱処理し澱粉質を糊状に変えて食用にする。
 

片山さんには、500ページを超える学術書『食生活と身体の退化』（プライス著）の翻訳がある。
1968年に私費出版した。（2010年に悟志会が増補改訂版を出している）。
 

教授の論点に「進化」はあるが「退化」はない。
しかし、教授の話を遮らないで聞き続ける。

潮時をはからって自然食主義教授の「歯垢」を採取し、1,800倍の位相差顕微鏡で見せる。
（教授）
ウーン。黴菌がピンピン・ウネウネしている。
ホゥ。こりやあ取らにゃきゃだめだ。
（片山）
「歯ブラシ」を使って磨き、噛める状態にしてからまた食物の話をしましょう。
３ケ月後に来てください。
教授は３か月たたずに再診に来た。
（教授）
ご飯がおいしくなりました。酒量が減りました。
歯磨きの「効き目」と脱帽した。
 

恒夫少年は１１歳で母と死別した。母は結核だった。感染を防ぐために四歳から岡山に移り祖父母に養育された。
祖父（剛大）は、備前藩の武道師範だった。
山岡鉄舟が明治に入って創めた「一刀正伝無刀流」の研錯を重ねた。
恒夫少年は大阪府立豊中中学校に進学し、剣道部主将を務めた。
 

祖父から「剣道は日々怠ることない練磨で上達する。相手の力量を見抜いて攻める。相手には勝ったと思わせ、こちらも無傷で終わ
る」と教わった。
片山さんが患者と向き合う時に思い出す言葉である。
医者が患者と向き合う時間は極めて短い。その間に患者に理解させ、歯磨きの実践に踏み出してもらう。
 

1967年北海道大学歯学部が新設され、70年から片山さんは連続して講師に招かれた。
『歯科医学と一般医療の谷間を埋めるもの」で説いたのは医師は患者に学問を押し付けるのではない。医師と患者＝双方で治していくのである、と講義している。
 

片山さんは、大阪歯科医学専門学校を卒業し、豊中市で開業した。中流の住宅地で律儀に働く勤め人の町だった。 24歳だった。
「腕のいい歯医者」と評判を取った。
 

32本ある歯の一本一本は、一つしかない心臓一つしかない胃と同じ役割をもって人間の進化とともに存在してきている。
人生を全うするには、歯を大事に、大事にして長生きのお手伝いをしてもらう。

そのために歯を磨く。
歯槽膿漏や虫歯になれば金が掛かる。
歯を磨けば歯医者に払うお金が少なくて済む。
そう論して毎食後の歯みがきを勧めた。

インターネットで片山恒夫を検索すると
①豊中保健所口腔衛生係長。開業医として夜間営業を認める。
②大阪府歯科衛生士養成所所長。夜間開業認可
③市立豊中病院歯科部長。夜間開業認可
とある。
公務員の兼業は特例であった。*1
 

ここに至る経緯は以下である。
1945年敗戦。片山さんは大阪梅田の焼野原に置かれたGHQの福祉部門にピーター福田二世を訪ねた。
 

片山さんは、学校医として挙げた五年間の成績を福田二世に示し、「学校保健改革片山案」を説いた。学校保健を正課とし、歯をみがく時間を設ける、である。
 

担当した国民学校（当時）も視察させた。
 

豊中保健所が、これからの公衆衛生のセンターとして新しい保健所のモデルになった。
口腔衛生係が新設された。
 

片山さんは係長に補され妊産婦・乳幼児の歯科保健指導に新分野を開拓した。
昼間は公務員だが、夜間は開業医として患者を診療できる、は特例である。
市立総合病院歯科部長に就任しても、夜間は開業医だった。
 

片山さんは、日本で初めて豊中市に生まれた歯科衛生士養成所の所長である。
校舎の物件を捜し出し、カリキユラムの作成、講師の選定、庶務係として学生定期券証明書の発行から経理係も担当した。
日本銀行大阪支店で給与として支払う現金を卸した帰途に全額盗まれた｡尾行されていたらしい。
勿論弁償した。

1955年、片山さんは『薬品工場で使う原材料によってそれを扱う作業員の歯はどのように蝕まれているか』の論文で大阪大学で医学博士の学位を得た。
 

「一人ひとりの歯」を大事にする、同時に、「社会における歯科医の役割」を果たす。
その姿勢は多忙を極めた当時でも変わりはない。
 

鈴木博信さんはＮＨＫの記者だった。
特派員としてアフリカやベトナムの勤務中にマラリアや風土病に罹った。
以後、13年に及ぶ闘病生活が始まる。後遺症の腎臓病が悪化し休職して療養したが治癒せず退職した。
 

療養生活中に歯茎が腫れ、３人の歯科医に掛かったが、どの医師も抜歯を勧めた。
「医事新報」を読んでいて歯槽膿漏関連の記事に出会った。
執筆者に電話した*2。
『歯槽膿漏の神様が関西にいる』との回答だった。

片山さんを訪ねた。当時、50歳ぐらいだった。
 

以下は、初対面の二人の振る舞いはかくもあったか、という中野のイメージである。
 

鈴木さんは後遺症の治療に全力を傾けた。関連の内外の医学書、医療記事を渉猟し、知人の記者のネットワークを通して医療関係者に話を関いて回った。徹底的に調べた。
 

そして遂に『歯槽膿漏の神様』の存在を知った。お目見え出来た。
片山さんには、鈴木さんは諸国を回って剣の名人・達人と試合した武芸者に写ったことだろう。

｢やつれていた。歯は全部ブラブラだった』。

片山さんは鈴木さんのこれまでを徹底して聴いた。

片山さんは『歯を磨きましょう』の一言を発しただけだった。

鈴木さんにはこの言葉は「他に頼らず自分の力だけで切り抜けること」、と聞こえた。
 

余談だが、旭川動物園園長だった小菅正夫さんに中野が聞いた話がある。
小菅さんは獣医である。動物園で死亡した動物の遺体のすべてを解剖して死因を調べてきた。
「よくこんなになるまで生きていてくれた。痛いの一言も言わずに｡」と涙した。
体の諸機能がゼロに磨り減るまで生き抜いて命を終えていたからだった。
 

初対面以降も二人の間の対話の量はごく少なかった。
片山さんのいう「自力」を悟った鈴木さんは歯をみがくことで「養生」＝いのちを養った。
歯は一本も抜かなかった。
健康を回復した。
 

片山さんは60歳で引退されたので、鈴木さんは先生の弟子に診てもらった。
その方も亡くなられたので、今は別のお弟子さんの診療を受けている。

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＊１片山さんの特例を認めさせたのは、当時豊中保健所の医師だった橋本正巳さん、後に、国立公衆衛生院部長。厚生省局長 橋本道夫氏は実弟。
＊２「医事新報」の寄稿者は日本大学口腔衛生学教授 木所正直さん
 

2012 Vol.7　より

中野 正之・なかのまさゆき

• 1933年　生まれ
• 1956年　九州大学経済学都卒。同年NHK人絹。ディレクター・農林水産番組チーフプロデューサーとして番組制作を担当。
• UNICEF（ユニセフ）と共同制作「発展途上国と地域取材（ブラジル･タンザニア･イラン･インド･タイ･ホンコン・アメリカ・フィンランド）＜婦人と社会＞」。
• 「ある人生一生還者」玉砕の島硫黄島の初取材。地下の延長20kmの壕に潜んで２万人の将兵が戦った。放置された戦友の遺骨を生還した兵士と捜す。
• ＮＨＫ特集「輸入食料ゼロの日」。「輸入断」始まる日以降の想定ドキュメント。「シルクロード」チーフプロデューサーとして取材スタッフ選定・現地取材車両確保。番組制作局長。
• 「紅白歌合戦」審査委員長。清原和博・千代の富士真一渡辺 謙らが審査員。
• 管理部門に転じ放送総局副総局長として国会・郵政省担当。
• 1990年　NHK退職。学校法人「日本放送協会学園」理事・理事長。
• 1997〜2003年　横浜家庭裁判所家事調停委員。
• 1999〜2010年　ＮＨＫラジオ深夜便「こころの時代」の企画と聞き手を担当。片山恒夫さん（2001年放送）はじめ238人にご出演いただく。
• 2012年　本稿を最期の仕事とされ、8月7日に逝去されました。